モーリス・ユトリロ展 -パリを愛した孤独な画家- 損保ジャパン東郷青児美術館
モーリス・ユトリロ展 -パリを愛した孤独な画家-
Maurice Utrillo Un peintre solitaire qui aimait Paris
昨日が初日で、本日二日目、13:30ころから14:30くらいの滞在だったのですが、空いていました。ガラガラというわけではないのですが、決して混雑しているという表現はあてはまらないですね。
私が気に入った作品は「ブルイユの十字架、アンリ4世の狩りの待ち合わせ場所、ベッスィーヌ・スュル・ガルタンプ(オート=ヴィエンヌ県)」だけです。1923年に描かれ36.5cm×46.5cmの紙にグワッシュで描かれた作品。
他の作品・・・どれも大してかわりがないのですが、個人的にはこれ、いい味わいを私は感じました。
音声ガイドをあわせて、1時間で出てきましたが・・・ほかの観覧者はもうすこし早いみたいです。
損保ジャパン東郷青児美術館へいくのは実ははじめてでした。音声ガイドはないだろうな・・・なんて思い込んでいたらちゃんと500円で焼く30分のものがありました。タッチパネル式のデジタルっぽいヤツ。
22コの音声ガイドがあります。
音声ガイドのはじまり、まあご挨拶みたいなのがあるのですが、その最初のガイドに度肝を抜かれました!
「10代にしてアルコール中毒に陥ったモーリス・ユトリロ」
という台詞・・・聞き逃さなかったですよ。面白いからもう一回聞きなおしました♪
①ユトリロの誕生
母親も画家であったシュザンヌ・ヴァラドン18歳での出産1883年12月26日生まれのユトリロ。父親は不明。
1896年にロラン中学に入学するも、そのときすでに飲酒癖があった。
1900年退学。義理の父ポール・ムジスの紹介で仕事をするも
1904年ポール・ムジスのすすめでパリ市内サン=タンウ精神病院入院。
「モンマーニの風景(ヴァル・ドワーズ県)」
1905年から祖母とユトリロの二人で過ごす。絵の具の混ぜ方などは、画家でもあった母親シュザンヌ・ヴァラドンから教わるも、その後はユトリロは独学で絵画を学ぶ
「モンマニーの石切り場(ヴァル・ドワーズ県)」
モンマニー時代の特徴として、多彩な色彩、厚塗り、力強いタッチ
エリック・サティがガヴァンドンとの恋に落ちる以前、漆喰を手にして独り遊ぶ少年時代のユトリロの姿を見かけたという。
詩人・小説家フランシス・カルコの質問「パリの思い出に何か1つをもっていくとしたら何?」に対して「漆喰」とユトリロは簡潔に応えたという。
「ラパン・アジル、モンマルトル」
ラパン・アジルというシャンソン歌手が集まるお店。ユトリロはマチエールの漆喰の壁を描くのに、石灰、ハトの糞、卵の殻、砂などを絵の具に混入していた。
⑥母、スュザンヌ・ヴァラドン
ユトリロの母親シュザンヌ・ヴァラドンも、自分の父親を知ることなく育った。16歳になるとドガやルノワールのモデルをつとめるようになる。
後にユトリロより3歳年下の友人アンドレ・ユッテルと母親シュザンヌ・ヴァラドンが再婚する。
この⑥のガイドのとき、画像を押すとシュザンヌ・ヴァラドン20歳のときの写真がみれます。
「サン=ローラン教会、ロッシュ(アンドル=エ=ロワール県)」
1904年、その後20回以上アルコール中毒の治療のため繰り返される精神病院への入院を初めてする。
このときは4ヶ月で退院。
鉄格子で隔離された部屋の中、ユトリロは絵葉書を元に絵を描いていた。
この絵画も絵葉書をもとに描かれたとされている。その絵葉書を画像でみれます。
「モン=ニ通り、ミミ=パンソンの家モンマルトル」
ル・カスクルートの常連でもあった祖母のマドレーヌの酒好きと母親からの愛情の欠如がユトリロに影響を与えたのではないだろうか。
ユトリロは2度の自殺未遂。泥酔して何度も警察に逮捕連行をされたという。
酒銭ほしさに、自作の高価な絵画も安値で売り飛ばしていたとか。
周囲では液体を計る単位のリットルにかけて、ユトリロのことをリトリロなどと笑っていたとか。
「カルボネルの家、トゥルネル河岸」
これも絵葉書をガイドで見ることができます。
⑩ユトリロと父
ユトリロ、母シュザンヌ・ヴァラドン、義父アンドレ・ユッテル3人の写真がみれます。
自分より3歳年下の友人であるアンドレ・ユッテルと実の母が結婚したことによるショックで酒びたりがひどくなる。
「テルトル広場、モンマルトル」
それまでは人が登場しない街並みを描いていたのが、この絵からは人が描かれるようになる。しかし風景にくらべると人は幼稚に描かれている。
画像で、現在のテルトル広場が紹介されてます。
「慰霊碑」
人の姿が大きく描かれている。女性に対する嫌悪感をあらわしているという説もある。
「クレイエット城、サヴィニー・レ・ボーヌ(コート。ドール県)」
15世紀にルイ11世12世によりワインの産地に作られた城。1800年代にはワインの貯蔵庫として利用され、今でもそのワインはヴィンテージワインとしてコレクターに高値で取り引きされている。
「哲学者の城、マキ、モンマルトル」
マキというのはフランス語で潅木地帯、密林という意味がある。
モディリアーニなども貧乏生活を経験して絵を描いた土地
⑮ユトリロの結婚
1935年未亡人リュシー・ポーウェル(急性ヴァロール)63歳、ユトリロ51歳が結婚。
1937年パリ郊外のル・ヴェズィネに別荘を購入「ラ・ボンヌ・リュシー(愛のリュシー)」と名づけた。
それまではアンドレ・ユッテルがユトリロをマネージメントして絵を描かせるようにコントロールしていたが、妻のリュシーとの二人体勢での管理コントロールとなる。
高い塀に囲まれた庭から、ユトリロは紙にくるまれた石を外に投げていた。その紙には「助けてくれ」となぐりがきされていた・・・それをひろったご近所さん、すでに画家としての価値が高かったユトリロのものだとわかると、喜んで癒えに持って帰って大切に保管していたそうな。
「サン=ドミニク通りとエッフェル塔」
結婚から3年後母が亡くなり、妻のリュシーのユトリロへの管理が悪化する。
「教会の通り、ビュトー(オー=ド=セーヌ県)」
カトリックに開眼したユトリロは1933年6月、49歳で洗礼。
5年後、1938年に母が孤独のうちに亡くなったときは、埋葬に参列せず、自宅の礼拝堂で一日中母のために祈りをささげていた。それ以降、ジャンヌ・ダルクと亡き母のために礼拝堂でお祈りをしているか絵を描いているかになる。
「サクレ=クール寺院、モンマルトル」
丘の頂に立つローマヴィザンチン様式で建てられた寺院。ユトリロの絵にはよく登場する。
1945年に描かれたこの絵はモンマルトルではなく、当時住んでいたアングレームで描かれたもの。
「ベル・ガブリエルの酒場と雪のサン=ヴァンサン通り、モンマルトル」
ピカソ、モディリアーニ、ブラック、レジュ、シャガール、キスリングなどのちのエコールドパリのメンバーが集まりボヘミアン的な生活を送っていた。
ユトリロはそんな中、彼らとは交流せず、モンマルトルの人々からは「ユトリロはモンマルトルの画家」と愛されていた
⑳聖女への信仰
ジャンヌ・ダルクへの崇拝は小学生のころからあったが、第一次大戦中にジャンヌ・ダルク深くまつわる「ラースの大聖堂」をドイツ軍が破壊するという行為に対して、ジャンヌへの信仰が強まり後に「炎上するラースの大聖堂」を描く。
「雪のサン=ヴァンサン通り、モンマルトル」
1950年2月オペラ・ルイーズの舞台衣装を賞賛したもので、レジオンドヌール勲章を受章。
1955年10月パリ市からメダーユドールを歓喜のうちに受け取る。
1955年11/5ダクスで71歳死去。4日後5万人もの葬送行列者がモンマルトルのサン=ヴァンサン墓地まで練り歩いたという。
会 期 2010年4月17日(土)~7月4日(日)
月曜定休 ただし5月3日は開館
会 場 損保ジャパン東郷青児美術館
〒160-8338新宿区西新宿1-26-1損保ジャパン本社ビル42階
開館時間 午前10時から午後6時まで、金曜日は午後8時まで
*入場は閉館の30分前まで
料 金 一般1000(800)円
大学・高校生600(500)円
シルバー〈65歳以上〉800円
中学生以下無料
※( )内は前売りおよび20名以上の団体料金
※前売り券はチケットぴあ、ローソン等でお求め下さい(4月3日発売)
主 催 損保ジャパン東郷青児美術館、日本経済新聞社
協 賛 損保ジャパン、みずほ銀行
協 力 日本貨物航空、カトーレック
企画協力 イズアート
<ギャラリートーク>学芸員が会場で作品の説明をします(当日自由参加)
小・中学生と保護者対象
4月24日(土)午後1時30分~
5月1日(土)午後1時30分~
一般対象
4月23日(金)午後5時30分~
4月30日(金)午後5時30分~
常設展示コーナー
ゴッホ《ひまわり》
ゴーギャン《アリスカンの並木路、アルル》
セザンヌ《りんごとナプキン》
東郷青児、グランマ・モーゼス
モーリス・ユトリロ(1883~1955年)は、ルノワールら著名な画家のモデルをつとめ、自身も画家として活躍したスュザンヌ・ヴァラドン(1865~1938年)の私生児としてフランスのパリで生まれました。本展はアルコール依存症の治療のために絵画制作をはじめた「モンマニーの時代」から「白の時代」、「色彩の時代」まで、90余点でユトリロ絵画の画業の変遷を具体的にご紹介します。
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index.html
Maurice Utrillo Un peintre solitaire qui aimait Paris
昨日が初日で、本日二日目、13:30ころから14:30くらいの滞在だったのですが、空いていました。ガラガラというわけではないのですが、決して混雑しているという表現はあてはまらないですね。
私が気に入った作品は「ブルイユの十字架、アンリ4世の狩りの待ち合わせ場所、ベッスィーヌ・スュル・ガルタンプ(オート=ヴィエンヌ県)」だけです。1923年に描かれ36.5cm×46.5cmの紙にグワッシュで描かれた作品。
他の作品・・・どれも大してかわりがないのですが、個人的にはこれ、いい味わいを私は感じました。
音声ガイドをあわせて、1時間で出てきましたが・・・ほかの観覧者はもうすこし早いみたいです。
損保ジャパン東郷青児美術館へいくのは実ははじめてでした。音声ガイドはないだろうな・・・なんて思い込んでいたらちゃんと500円で焼く30分のものがありました。タッチパネル式のデジタルっぽいヤツ。
22コの音声ガイドがあります。
音声ガイドのはじまり、まあご挨拶みたいなのがあるのですが、その最初のガイドに度肝を抜かれました!
「10代にしてアルコール中毒に陥ったモーリス・ユトリロ」
という台詞・・・聞き逃さなかったですよ。面白いからもう一回聞きなおしました♪
①ユトリロの誕生
母親も画家であったシュザンヌ・ヴァラドン18歳での出産1883年12月26日生まれのユトリロ。父親は不明。
1896年にロラン中学に入学するも、そのときすでに飲酒癖があった。
1900年退学。義理の父ポール・ムジスの紹介で仕事をするも
1904年ポール・ムジスのすすめでパリ市内サン=タンウ精神病院入院。
「モンマーニの風景(ヴァル・ドワーズ県)」
1905年から祖母とユトリロの二人で過ごす。絵の具の混ぜ方などは、画家でもあった母親シュザンヌ・ヴァラドンから教わるも、その後はユトリロは独学で絵画を学ぶ
「モンマニーの石切り場(ヴァル・ドワーズ県)」
モンマニー時代の特徴として、多彩な色彩、厚塗り、力強いタッチ
エリック・サティがガヴァンドンとの恋に落ちる以前、漆喰を手にして独り遊ぶ少年時代のユトリロの姿を見かけたという。
詩人・小説家フランシス・カルコの質問「パリの思い出に何か1つをもっていくとしたら何?」に対して「漆喰」とユトリロは簡潔に応えたという。
「ラパン・アジル、モンマルトル」
ラパン・アジルというシャンソン歌手が集まるお店。ユトリロはマチエールの漆喰の壁を描くのに、石灰、ハトの糞、卵の殻、砂などを絵の具に混入していた。
⑥母、スュザンヌ・ヴァラドン
ユトリロの母親シュザンヌ・ヴァラドンも、自分の父親を知ることなく育った。16歳になるとドガやルノワールのモデルをつとめるようになる。
後にユトリロより3歳年下の友人アンドレ・ユッテルと母親シュザンヌ・ヴァラドンが再婚する。
この⑥のガイドのとき、画像を押すとシュザンヌ・ヴァラドン20歳のときの写真がみれます。
「サン=ローラン教会、ロッシュ(アンドル=エ=ロワール県)」
1904年、その後20回以上アルコール中毒の治療のため繰り返される精神病院への入院を初めてする。
このときは4ヶ月で退院。
鉄格子で隔離された部屋の中、ユトリロは絵葉書を元に絵を描いていた。
この絵画も絵葉書をもとに描かれたとされている。その絵葉書を画像でみれます。
「モン=ニ通り、ミミ=パンソンの家モンマルトル」
ル・カスクルートの常連でもあった祖母のマドレーヌの酒好きと母親からの愛情の欠如がユトリロに影響を与えたのではないだろうか。
ユトリロは2度の自殺未遂。泥酔して何度も警察に逮捕連行をされたという。
酒銭ほしさに、自作の高価な絵画も安値で売り飛ばしていたとか。
周囲では液体を計る単位のリットルにかけて、ユトリロのことをリトリロなどと笑っていたとか。
「カルボネルの家、トゥルネル河岸」
これも絵葉書をガイドで見ることができます。
⑩ユトリロと父
ユトリロ、母シュザンヌ・ヴァラドン、義父アンドレ・ユッテル3人の写真がみれます。
自分より3歳年下の友人であるアンドレ・ユッテルと実の母が結婚したことによるショックで酒びたりがひどくなる。
「テルトル広場、モンマルトル」
それまでは人が登場しない街並みを描いていたのが、この絵からは人が描かれるようになる。しかし風景にくらべると人は幼稚に描かれている。
画像で、現在のテルトル広場が紹介されてます。
「慰霊碑」
人の姿が大きく描かれている。女性に対する嫌悪感をあらわしているという説もある。
「クレイエット城、サヴィニー・レ・ボーヌ(コート。ドール県)」
15世紀にルイ11世12世によりワインの産地に作られた城。1800年代にはワインの貯蔵庫として利用され、今でもそのワインはヴィンテージワインとしてコレクターに高値で取り引きされている。
「哲学者の城、マキ、モンマルトル」
マキというのはフランス語で潅木地帯、密林という意味がある。
モディリアーニなども貧乏生活を経験して絵を描いた土地
⑮ユトリロの結婚
1935年未亡人リュシー・ポーウェル(急性ヴァロール)63歳、ユトリロ51歳が結婚。
1937年パリ郊外のル・ヴェズィネに別荘を購入「ラ・ボンヌ・リュシー(愛のリュシー)」と名づけた。
それまではアンドレ・ユッテルがユトリロをマネージメントして絵を描かせるようにコントロールしていたが、妻のリュシーとの二人体勢での管理コントロールとなる。
高い塀に囲まれた庭から、ユトリロは紙にくるまれた石を外に投げていた。その紙には「助けてくれ」となぐりがきされていた・・・それをひろったご近所さん、すでに画家としての価値が高かったユトリロのものだとわかると、喜んで癒えに持って帰って大切に保管していたそうな。
「サン=ドミニク通りとエッフェル塔」
結婚から3年後母が亡くなり、妻のリュシーのユトリロへの管理が悪化する。
「教会の通り、ビュトー(オー=ド=セーヌ県)」
カトリックに開眼したユトリロは1933年6月、49歳で洗礼。
5年後、1938年に母が孤独のうちに亡くなったときは、埋葬に参列せず、自宅の礼拝堂で一日中母のために祈りをささげていた。それ以降、ジャンヌ・ダルクと亡き母のために礼拝堂でお祈りをしているか絵を描いているかになる。
「サクレ=クール寺院、モンマルトル」
丘の頂に立つローマヴィザンチン様式で建てられた寺院。ユトリロの絵にはよく登場する。
1945年に描かれたこの絵はモンマルトルではなく、当時住んでいたアングレームで描かれたもの。
「ベル・ガブリエルの酒場と雪のサン=ヴァンサン通り、モンマルトル」
ピカソ、モディリアーニ、ブラック、レジュ、シャガール、キスリングなどのちのエコールドパリのメンバーが集まりボヘミアン的な生活を送っていた。
ユトリロはそんな中、彼らとは交流せず、モンマルトルの人々からは「ユトリロはモンマルトルの画家」と愛されていた
⑳聖女への信仰
ジャンヌ・ダルクへの崇拝は小学生のころからあったが、第一次大戦中にジャンヌ・ダルク深くまつわる「ラースの大聖堂」をドイツ軍が破壊するという行為に対して、ジャンヌへの信仰が強まり後に「炎上するラースの大聖堂」を描く。
「雪のサン=ヴァンサン通り、モンマルトル」
1950年2月オペラ・ルイーズの舞台衣装を賞賛したもので、レジオンドヌール勲章を受章。
1955年10月パリ市からメダーユドールを歓喜のうちに受け取る。
1955年11/5ダクスで71歳死去。4日後5万人もの葬送行列者がモンマルトルのサン=ヴァンサン墓地まで練り歩いたという。
会 期 2010年4月17日(土)~7月4日(日)
月曜定休 ただし5月3日は開館
会 場 損保ジャパン東郷青児美術館
〒160-8338新宿区西新宿1-26-1損保ジャパン本社ビル42階
開館時間 午前10時から午後6時まで、金曜日は午後8時まで
*入場は閉館の30分前まで
料 金 一般1000(800)円
大学・高校生600(500)円
シルバー〈65歳以上〉800円
中学生以下無料
※( )内は前売りおよび20名以上の団体料金
※前売り券はチケットぴあ、ローソン等でお求め下さい(4月3日発売)
主 催 損保ジャパン東郷青児美術館、日本経済新聞社
協 賛 損保ジャパン、みずほ銀行
協 力 日本貨物航空、カトーレック
企画協力 イズアート
<ギャラリートーク>学芸員が会場で作品の説明をします(当日自由参加)
小・中学生と保護者対象
4月24日(土)午後1時30分~
5月1日(土)午後1時30分~
一般対象
4月23日(金)午後5時30分~
4月30日(金)午後5時30分~
常設展示コーナー
ゴッホ《ひまわり》
ゴーギャン《アリスカンの並木路、アルル》
セザンヌ《りんごとナプキン》
東郷青児、グランマ・モーゼス
モーリス・ユトリロ(1883~1955年)は、ルノワールら著名な画家のモデルをつとめ、自身も画家として活躍したスュザンヌ・ヴァラドン(1865~1938年)の私生児としてフランスのパリで生まれました。本展はアルコール依存症の治療のために絵画制作をはじめた「モンマニーの時代」から「白の時代」、「色彩の時代」まで、90余点でユトリロ絵画の画業の変遷を具体的にご紹介します。
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index.html
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